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kiyo_hikoのブログ

メモ+日記?

教育:小遣い帳って逆効果だった

なんとなく思い出した自分の経験から。

世間一般に「小遣い帳をキッチリつけるように教育する」てのは盲目的に良いことだと思われてるけど、自分のように大雑把な人種にはむしろ逆効果な気がしていて、その訳というのが、「金を貯めるというモチベーションを奪うということ」なんじゃないかとふと思った。消費する喜び、的なものが味わえなくなる気がする。


自分の経験では、養育方針として毎月1円の狂いもなく正確に小遣い帳を付け、月末~月初にかけて提出して、帳面と額面が合うまで基本的に小遣いはもらえなかった。どこで何使ったか思い出せなくて合わせるまで2ぐらいかかってみたり、どうしても合わなければ叱咤が待っていてその上でお赦しを得て小遣いをもらうというのが、餓鬼時代だから10年ぐらい続いたことになる。
正直、

「お金ってめんどくさいものだ」

と餓鬼の頃思ってたし、そのせいもあって、高校に入ってバイトできるよう (一応、偏差値で70ぐらいの進学校ではあったので普段は禁止だけど、夏季・冬季休暇でならOKだった) になってからバイトしようという気が起きなかった。小遣い帳に恐らく、「バイト給料」とか書いて使えばその支出内容をこまごまと書いていくこととか、想像しただけでめんどくさい。月の小遣い2、3千円と比べて、1月で数万単位で入ってくる、当時としては途方も無い額の金を1円単位でどこで何に使ったとかいちいち覚えてられない。何か買えばとにかく帳簿合せの作業が発生するので、結局億劫がって碌に使わなかったし、もうあまり金がほしいとも思ってなかった。


今になって思うと1000円以下はもう「端数は自販機で買った」とか、合わない分学校に隠しとくとかで粉飾すればいい気がするけど、当時はかなりいろいろと厳しい教育をされたので、バカ正直すぎてそういうこと考えもしなかった。
シムシティとか戦略シミュレーションゲームやってると、都市や自国が巨大化していくに従って末端の細かい予算について段々大雑把、いい加減になってくるけど、それはあまりにも細かいことに縛られていると、持っている頭の容量や時間の量の制限によってやれる作業がスケールしないからで、そういえばプログラミングでシステム開発するときも、スケールするプロジェクトというのはとにかくいらない細やかな複雑さをライブラリなり業務特化のオブジェクトなりにぶち込んでいって抽象化して、そんなもの、そこ自体に目を向ける必要がある時以外は詳細がどうなってるかなんて考えなくていいようにする。
そういう、何かしらの成長があるタスクをこなすときは、まず切り捨てていい部分を見つけて現実に自分が管理できるスケールに圧縮してしまうことが必要になってくるが、あまりに些事にこだわり過ぎるやり方にしがみついてると、こういった大雑把さや抽象化に至れず、今ある小ささでいいと、そのまま小さくまとまってしまう。
(ちなみにゲームと漫画禁止の環境だったのでゲームは成人してから散々やった)


扱うものが小さい、ほんの小中学生のうちはそういうこともやっておくといいかもしれないが、扱うものが増える頃からは、取捨選択の能力を取り入れていったほうがきっとよくて、その意味では小遣い帳を廃止するなり、よりユルイ形に変えていってしかるべきだと思う。もちろん、1円単位の端数だってキッチリ処理する必要が有ることは一杯あるけど、すべてが自分の裁量で、結果も自分にしか影響のない小遣いにまでそれを求める必要はないのではないか…。
程々でいい場所とこだわるべき箇所は峻別すべきで。


…と、思ったことを一息に書いてみたけど、そもそも高校出るまで「1円単位のミスも許さん」という自分の養育環境が特殊だったのかもしれないし、帳簿合せるのが趣味な子供とかだったらやればいいと思うし、本人がどう思ってるかにもよる。とにかく自分にはとても向いてなかった。