kiyo_hikoのブログ

メモ+日記?

「いまだに人間を幸福にしない日本というシステム」

週末は腐って寝ていたが、ただ寝てるだけというのも頭が沸いて劣化しそうなので、掲題の本を読んだ。(本自体は先般あった角川ソフィア文庫Kindleセールで買った)

いまだ人間を幸福にしない日本というシステム (角川ソフィア文庫)

いまだ人間を幸福にしない日本というシステム (角川ソフィア文庫)

といっても普段頭使わなすぎなせいか脳がいたく劣化してるから、第一部しか読めてない。あとで読み返すときスムーズになるように要旨を自分なりにまとめておく。

 * * *

支配者と被支配者

ここまで露骨な表現は出てこないが、日本では真実にアクセスできる人はほとんどなく、多くの国民は偽りの「現実」へのアクセスしかできない。二階層の間ではおのずと知識→立場も異なってくる。

  • 「民は知らしムべからず、由らしむべし」

明治維新→戦後も形を変えて維持されている。

「しかたない」

「現実」を受け入れるしかない人々にとって、納得いかない自分たちを納得させるためのマジックワード
変化を望んだところでうまくいくわけがない、ということ。

  • 自分の生き方をしたいなら、「しかたない」は禁止ワードにした方がいい。

巨大な生産機構

企業

日本を経済勝者とした仕組みは何かというと、

  • 系列企業
  • 業界団体

である。

系列では系内の銀行の支援などにより、利益を生むことよりも企業が生きのこることが重視された。
セーフティネットがついた状態でビジネスが展開できるので長期的な企業活動を可能にする。

この方式だと系列の影響力が大きくなることが問題で暴走を防ぐ装置がないといけないが、その任は業界団体が負うことになったが、業界団体はカルテルを形成した。→「過当」競争に陥らずに発展していくことができるようになった。

また、大企業は多くの下請け企業を従え、下請けが価格上の優位性の源泉となったり、景気悪化のクッション(景気が悪ければ下請けが倒産する)の役割を果たしてきた。

このような系列・業界団体を中心として下請けを組み込んだ構図で戦後復興からの優位性を日本は確保してきたということ。また、こういった仕組みが財界の大物の私腹を肥やすというよりは産業発展という国家の目標に振り向けられてきたということ。
日本人が勤勉だからというのは的外れもいいことで、企業が高度に組織化されていたというのが大きい。

政治 - 「社会の政治化」

日本のあり方の特異な点として、政府と民間の活動の区切りが薄く、あらゆるものが政治システムの一環に組み込まれているということ。=社会の政治化

企業活動については、日本で政府は業界団体を通じて、企業活動に強力に割り込むことができる。
国民活動については、中産階級の代弁者がいないということ。これによって国民の利益を度外視してでも生産能力を無限に拡大するという国家目標を掲げることを可能にした。

この国には、政治に影響力を持つ中産階級がほぼ完全に存在しない。たとえば医師や自営業者であればいくらかの影響力は持てるかもしれないが、サラリーマンを代弁する存在は皆無である。

  • サラリーマンには社外で発揮できる政治スキルを磨く機会がない
  • 会社に時間・精神を費やし、政治活動に割くリソースはない
    • 会社を家族(Home)のようなものとして考えなければならない。忠誠を問われる

中産階級の政治参加を妨害するようなものとして、

  • 会社への貢献意欲を失わせるようなものは疑いの目を向けられるということ
  • 日本人は集団生活を好むという幻想や、「中間大衆(幸福な大衆。生活に満足しているので、政治に無関心なまま社会秩序を支えているという考え方)」などに見られるようなレッテル貼り

抑圧される暮らし

「企業が個人の家庭生活・人格形成にこれほど大きな影響を与えた国は、日本をおいてほかにはない」

  • 会社勤めでエネルギーの大半を使い果たすサラリーマンには有意義な家庭生活をいとなむ余力はほとんどない
    • 結婚生活・育児…
  • 女性のプライバシーのなさ

何が問題なのか

日本で起きていることに対し、説明責任を負う者がいない。

  • 首相は外国の大統領・首相ほどの権力を持っていない
  • 政治家の影響力のなさ(野心ある政治家は腐敗などとして潰されやすい)
  • 官僚の説明不要な権力

官僚のやり方が独善的で、彼らが省益や現状維持圧力によって動く傾向が強いということ。
国民にひろく周知説明せず行動できるので、不健全なやり方でも押し通せる。

などなど…。国民幸福と産業発展を天秤にかけ、産業発展を主眼においた行動をとる節がある。
同時に、統制し、秩序を守るということ。

官僚支配

あいまいさによる権力行使

例えば、悪路や道路工事・悪天候といった理由がないのに50km/h制限の標識があるとして、

  • ばかばかしいのでそのまま走る
  • 追突の危険を覚悟してでも標識を守る
  • 他のドライバーよろしく80kmとかで走り続ける

など選べるが、50kmまで落とさずに走ればネズミ取りに出くわして罰金やペナルティがあるかもしれない。警察が50km/h制限だからと言ってすべての車を停め、罰金を科すのは公平だが大変な手間になる。(あいまいさを残しておけば普段はそのまま通らせておいて、狙った車をピンポイントで捕獲することが可能になる)

官僚が恐れる強い政治家が現れると(恐らくあいまいなところから素材を見つけられ、)検察官に断罪され始末される。
逮捕された政治家と同じ基準を当てはめようとすれば、国会は実質空っぽになりそう。

ここまでのまとめ

  • これらは「不運な現実」である
  • 現在の官僚機構では「秩序を維持したい」という力が強い
  • 秩序を維持したいのは説明責任を果たせる者がいないから

* * *

とかまあそんな感じだった。

更に短くして三行にまとめておくと、

・日本は管理者とそうでない人がいて、国家全体として個人幸福よりも産業発展を指向してる節があって、しかもシステムが高度に完成してるので表だって逆らうのはやりにくい。


・管理者(特に官僚)は説明責任を果たすトップがいないんで、国民を抑圧し、企業を守り監視し、現状を壊す人物の出現を恐れ秩序の維持に躍起。


・そうでない人は政治スキルを持ちえず企業に心身捧げて働くが、これじゃ幸福になれるわけない。

みたいな感じかな。後半は官僚独裁に対する考察がかなり長かったな。

ここまでの大雑把な感想は、とにかく「しかたない」はあまり自分事では使いたくないなーと思ったし、かといって自分にできることっていかに限られてるか実感したので、その手札とかあるなら慎重につかいたいなあと。

気が向いたら続きも読んでみます。